久々の投稿になりました。
今日は、文化の学びについて気づいたことをブログに書いてみました。
ちょうど、先日日曜日に小学1年生の子どもたちとアフリカ大陸を学んだところです。
【1】小学1年生の学びがつながっている
昨日、中学1年生になった息子が、もうすぐ中間試験ということで、
リビングで地理を勉強をしていました。
以前までは「社会は苦手だ」と言っていたのですが、
最近とても楽しくなり始めたのだそうです。
「なぜ楽しくなり始めたのか」と聞いてみると、
先生の話が、シャワーのように入ってくるようになり、行ったこともない場所でも想像できるようになってきたからとの事です。
息子も小学生1年生から「文化」(今でいう「小学生文化クラス」です)を一緒に学んできました。
モンテッソーリ教育の文化クラスは、全体を捉えてから詳細を学ぶことに重きを置いています。
また、地球の仕組み、人類が今ここで暮らしている理由を知ることで、より世界の見方が変わってくるのです。
自分も含めた人類は、宇宙の中の、地球の中の、そして暮らしている社会の中の一員であるということを認識した上で、自分の存在意味などを知っていきます。
そのためにも、まず自分がなぜここにいるかを知る必要があります。
小学一年生、難しすぎることはわかりませんが、わかりやすく全体像を伝えることで、
心にほんの少しでも残ってくれていると思います。
【2】多方面から学ぶ世界
モンテッソーリ教育は、まず宇宙などの全体を知り、そこからより詳細を学ぶことを楽しみます。
この文化は、勉強するために、受験のために、暗記のためにあるのではなく、
「自分の存在する環境全体を知る」ということに意味があります。
大陸は最初はつながっています(パンゲア)。それが少しずつ年月を経て分かれ、今のような大陸に分かれ、その中にたくさんの国があります。
位置だったり、人口だったり、温度だったり、数値的に見ることでそれぞれの国の特徴がわかります。
なぜ言語がそれぞれ違うのか、国旗の意味は何なのか、国語的に違いを感じることもできます。
社会、算数といった学びではなく、算数を社会的な方面から考えたり、社会を宇宙から捉えたり。
多角的に見ることで気づくことや感じることがあります。
そういう学びや、一つ一つの仕組みを知ることで、より知りたい気持ちが強くなり、
心の奥底にずっと残っていくようです。
教えていること、学んでいることは、一見簡単そうに見えますが、大きな意味があるので、
それが結果的に、小学高学年や中学生になってより鮮明につながってくるようです。
【3】教えこみではなく主体的に学んできたことで何が得られるか
文化教育は先生が単に教えるだけの教育ではなく、子どもたちも自分で動いていきます。
もちろんヒントや、最初の学びのきっかけは与えますが、「言われたからする」のではなく
自分から「私はこうしたい」を大事に一緒に作っていきます。
150以上もある国旗の中から、アフリカ大陸の国だけ探すとなると「先生、これ多すぎて難しすぎます。もう少し少ない中から選べるようにしてほしいです。」なんて声も出てきたりします。
そういう時はより分かりやすい方法を考えます。
こんな様子で学んできたので、中学になった息子も、
中学の先生から「この地域で酪農をしているよ」と聞くと、「この季節、だいたいこの位置に地球があるからこういう農業が栄える」「どんな動物が住みやすいか」「どんな食べ物ができて、体に都合がよいのか」などと考えられるそうです。言葉一つ一つがシャワーのように、情景が浮かんでくるそうです。
地理の勉強なのに、理科的にも、数的にも捉えることもあるそうです。
【4】文化教育はなぜ必要なのか
私も教えながらなぜ小学低学年に文化教育が必要なのかと考えることもあります。
でも子ども達から気づかされることがことがたくさんです。
アフリカ大陸の話をしていると、「なぜ砂漠が広がっているのか、さっきの先生の話で分かったよ」とか、春夏秋冬の話をしているときに、冬の傾きをを伝えただけで、「先生、もう春夏秋の場所わかった!」と話し始める子どももいます。自らの気付きが、想像以上に多いことがわかります。
私はずっと学ぶ楽しさを味わってほしいと考えて過ごしてきましたが、子どもたちはもうすでに学ぶ楽しさを知っているように思います。
学ぶ意欲を育てるとか単純な事ではなく、子どもたちはもう「どうなっているのか知りたい、ただ教えてほしい」その思いを形にしているだけで十分なのだと思いました。
【5】学ぶ意欲がそもそもなかったらどうしたらいいの
学ぶ意欲がない子どもなんていないと思います。
ただきっかけ、環境がないだけなのだと思います。
私もすっきりした空間で暮らしたいので、何もないところに何も置かない。
そんな暮らしを夢見て少ししてみたことがあります。でもそうすると、息子や娘から何も言ってこないのです。
私が「アメリカの世界遺産すごい!」なんて言ってもポカーンとしていました。
そんな子どもたちに、文化のコーナーを作って写真や絵本や本をたくさん飾った後は、
子どもからの声がたくさん聞かれるようになりました。
「教えていないのになんでわかったの」と聞くと、「その本に書いてた」等と。
これは言語も数も同じことが言えると私は思っています。
環境が教えてくれ、それが学びの一環になっていることをしみじみ感じます。
【6】幼児期からのきっかけ
これは、つばめの家オンラインでも発売を始めた「つちのうえ つちのした」
この教材は、多くの意味あります。
いつも食べている食べ物がどのように生っているのかを知るだけでなく、
のり貼りの練習にもなります。
前日教室のお母さんから、これをきっかけに「海の中と外も知りたい」と図鑑を買われたという嬉しいご感想もお聞きしました。
息子が4年生の時に作ったときの写真です。
最初はもともとある物(販売している台紙)に色を塗ったりのりで張り付けていたのですが、
そのうち全部を自分で作るとまねして手描きで描いていました。
こんな些細な事ですが、これをきかっけに、食べ物についても深く考えるようになっているのがわかります。
子どもはなかなか話をしないので気付きにくいのですが、ふとした時に、
「これだけ台風の風が強かったら、農家の人が大変だね。だって白菜は土の上になるからね。」
と言ったりします。
子どもたちの体の中、脳の中ってどうなっているんだろう。
想像以上に忙しく敏感に動き回っているんだろうなと感じています。